うつ病、パニック障害、ギャンブル依存症、吃音、それでも生きて行かななければ

うつ病、パニック障害、ギャンブル依存症、吃音などいろいろな病に侵されながらも家族の為、自分の為に諦めず毎日を生きていく日記と体験談です。

うつ病について3

おはようございます☆

今日も昨日の続きとしてうつ病について書きたいと思います。 

昨日の記事で病院を変えてみようと思い、思い切って新しい病院に通う事に決めました。
始めに通っていた病院はかなり事務的で薬を処方して終わりと言う感じてなかなかこちらの話を聞いてもらう事ができませんでした。

そこでネットで見付けた評判の良い心療内科に思い切って変えて見る事にしました。
そこの病院は評判がいいだけあって初診まで一ヶ月ほど待たなければならなかったのですが、なんとかその期間を耐えて受診する事が出来ました。

そして、始めての診療から新しい先生は私の話をしっかりと聞いてくれますし臨床心理士の先生もこちらに寄り添ってくれるような感じでいろいろ話す事ができました。
薬も今まではとりあえず我慢して飲んで見て下さいと言う感じだったのが新しい先生はこちらの症状や副作用に合わせて薬をいろいろ試してくれて、その中で自分に1番合うものを選んでくれました。
そして新しい病院に変えてからは抜け殻のように全くやる気が出なかったのが少しずつ体を動かせるように回復して行きました。

趣味だったギターや釣りにも行けるようになり、眠気はまだかなり残っていましたが、心の奥から活力が湧いて来るのが日々実感出来ていたのでかなり安心する事が出来ました。

もし、読んでくださっている人の中で、病院に通ってもうつが良くならないとか、先生に話を聞いてもらいたいのに聞いてもらえない、薬を服用しても良くならない、と言う人がいたらセカンドオピニオン的な感じで他の病院をあたって見るのも一つの良くなる方法になるかもしれません。
あまり病院を変えてドクターショッピング的な感じになってしまうのも良くないのかもしれませんが、私は病院を変えた事でかなり回復する事ができたので結果的に良かったと思っています。

そして、ストレスの大本にもなっていたギャンブル依存症で作った多額の借金も債務整理をする事でなんとか形がついたので気持ちとしてはかなり楽になったのも大きいと思います。

しかし、うつ病はたとえ心と体が回復しても失ってしまったのはなかなか元には戻らない、と言う現実もあるので次の記事ではその事を書きたいと思います。

いつも少しでも読んで下さる方、いつもスターを付けてくれる皆さん、ほんとうに心から感謝しています。
これからもいつも感謝と言う気持ちを忘れずに書いて行きたいと思うので、こんな駄文なブログですがよろしくお願いします。

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うつ病について2

おはようございます☆

今日は昨日の記事の続きを書きたいと思います。

少し話を戻して、私は24歳前後に正式にうつ病と診断されましたが、実は高校を中退する前後くらいから少しずつうつ病になっていたのかなぁといつも思う事があります。

私は、中学に入ってから吃音(吃り)を克服してからはどちらかと言うと学年やクラスでも目立つやんちゃな生活を送っていました。友達もたくさん出来ましたし彼女もいました。バイクを乗り回したり髪の毛を染めて見たりピアスをしてみたりいろいろな経験をしました。

そして高校に入学し1年生生の終わり頃には赤点だらけでしたがなんとか2年生に進級したのですが、その頃から自分の中で何か少しずつ変化を感じていました。

その当時は友達といるのが何より1番で、家に帰る事は少なく毎日どこかに集まって朝まで遊んだり、そのまま友達の家に泊まったり、とにかく1人で過ごす事など年間でほとんど無いぐらい毎日遊び歩いていたのですが、いつからか「1人で過したい」とか「友達と過ごすのが面倒くさい」と思う事が少しずつ増えていったのを思い出します。
何故、そうなったのかは実の所は自分でも良くわかりませんがそう思い始めてからは少しずつ友達と距離をおくようになって行きました。
そのうちに友達と遊ぶのがどんどん嫌になっていって、携帯の電源を切って部屋に籠もったり友達に会いたく無いからあまり外に出なくなったりしていって、ついには学校にさえ行くのが嫌になってしまい、結局自主退学と言う形を取りました。

あんなに友達と過ごすのが好きだったのにどうしてこんな事になったのだろう?と思っていたのですが、その頃はスロットにも夢中になり始めていたので、もしかしたらスロットを打つ事によって私の脳内で何か変化が起きたのかもしれません。
しかし、知り合い以外に会う事は特に嫌ではなかったのですしアルバイトや仕事、自分の好きな時間に好きな所に出掛ける事は出来たので、この時は特に日常生活に支障はなかったので特に病院に通ったりする事はありませんでした。
しかし今思うと、この時の変化が私のうつ病の始まりだったのでは?と後になって良く思ったりします。

そして、昨日書いた24歳ぐらいの時に正式にうつ病と診断され心療内科に通うようになったのですがなかなか症状は良くならず猛烈な倦怠感と眠気の為に寝たきりのような生活を送っていました。
このまま良くならないのでは無いかと不安と心配で押しつぶされそうで凄く辛い生活を送っていました。

その時に、うつ病の事を調べていたらネットで評判の良い病院を偶然見付けたので思い切って病院を変えて見る事にしました。
それが、結果的に私には良かったようでその後の回復に向かう一歩になりました。

少し長くなったので続きはまた次の記事に書きたいと思います。
今回も話が前後してしまいとても読み辛い記事になってしまってほんとうに申し訳ありません…。
どうしたら、皆さんのように良い文章が書けるのか私には不思議でなりません。

いつも少しでも読んで下さる方、スターを付けてくれる皆さんにほんとうに心から感謝しています。
ありがとうございます☆

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うつ病について1

おはようございます☆

今回から私のうつ病について書いて行きたいと思います。

私がうつ病と正式に診断されたのは24歳ぐらいの時だったと思います。
しかし、今覚えば私は高校を中退しているのですがその頃から少しずつうつ病に蝕まれていたのかもしれないなぁと思っています。

私は、今まで書いて来た通りギャンブル依存症パニック障害、吃音(吃り)などいろいろな事がありさらにギャンブル依存症の借金の返済の事など、その当時はほんとうにストレスだらけでした。

毎日毎日借金の滞納の電話が鳴り、それでもスロットは辞められないし、パニック障害の発作の心配も重なってとにかく疲れ果てていたのを覚えています。
そこにさらにかなり精神的なショックな事が重なり(また記事に書きたいと思います。)、
そのうちに今まで楽しかった事も苦痛になり外に出るのも億劫になり1日中家に引き籠っていました。
何時間寝ても眠気は取れず、起きているのはご飯を食べるのとトイレに行く事ぐらいになり何に対しても欲求が無くなっていってしまいました。
具体的な症状としては

:とにかく尋常では無い眠気
:大好きだった事への興味が無くなる
:自分の考えがまとまらなくなり全ての結論がどうでも良くなってしまう
:体を少し動かすだけでとてつもなく疲れる
:自分でも良くわからない行動を取る(長髪だったのに急に坊主にして見たりピアスを何個も開けて見たり、使いもしない工具を大量に買って見たり…)

私の症状はこんな感じでした。

元々心療内科に罹ってはいたのですが、生きているのも辛くなり安定剤や睡眠薬を大量に服用して病院に運ばれたり急に家から夜中に飛び出して真冬の海で一晩過ごしたりなどかなり正気では無かったと思います。
死にたいと言うよりは生きてる事が辛いと言う感じでした。
毎日毎日こんな感じの私を見て、親が心配して心療内科に一緒に付き添ってくれて臨床心理士さんによる心理テストのようなものを受けて、正式にうつ病と診断されました。
しかし、診断が出たところで特にうつは良くなる事も無く薬はいろいろと種類を変えて飲んで見たり量を調節して見たりしましたがあまり結果は好ましく無く、しばらくの間は先に書いた通り寝たきりのような生活になってしまっていました。

少し長くなったので続きはまた次の記事に書きたいと思います。

いつも少しでも読んで下さる方、いつもスターを付けてくれる皆さんに心から感謝しています。
ほんとうにありがとうございます☆

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ごめんなさい…。

おはようございます☆

土日は記事を書くことが出来なくてごめんなさい。
まだ娘が小さく妻も体調に波がある為、中々土日は更新する時間を作れなくて皆さんのブログにも目を通すのがやっとと言う状況になってしまいます。
これからは、少しでも時間を作れたら作って土日にも出来る限り更新したいと思いますがしばらくは無理そうな感じです…。

いつも皆さんのスターやコメントに凄く励まされているので自分だけの身勝手ではありますがほんとうに申し訳ありません。

読者になってくれた皆さん、スターを付けてくれる皆さん、コメントをくれる方にほんとに心から感謝しています。
平日は出来る限り更新するように頑張るので、こんな、あまり内容も無くて意味の無いブログかもしれませんが皆さんこれからもよろしくお願いします☆

そして、いつもほんとうにありがとうございます☆

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少しは前向きに☆

おはようございます☆

昨日は暗い記事になってしまいましたが、今日はなんとか少しでも明るい記事を書きたいと思います。

私の娘は今週から幼稚園に通い初めたのですが、それまで3年間はずっと妻と私の3人で生活していました。
保育園にも行っていなく、1人娘で従兄弟もいないので、他の子供たちと触れ合う機会はほとんど無く過ごしてきました。
公園などに行っても1人では遊べずいつも妻か私がそばにいないと何も出来ない程の甘えん坊で人見知りです。
そんな娘がいきなり1人で幼稚園に行って過ごす、という事は私と妻にとっては凄く不安で心配でした。
本人も3歳ながらに不安だったと思います。

しかし、幼稚園から帰って来て話を聞くと
「幼稚園楽しかったよ」と言って嬉しそうに話をしてくれたのです。
私と妻は本当に安心して二人でホッとため息を漏らしてしまう程でした。
子供はいつの間にか親もびっくりする程に成長しているんだなぁと感じ、なんだか少し娘が頼もしくなったような気がします。

私も妻も精神的な病を抱えているので、正直娘も同じようになってしまうのでは無いかと不安ではありますが、楽しそうに幼稚園に通っているのでとりあえずほっとしています。
これから、娘も辛い事や苦しい事がたくさん待っていると思いますが、そんな時に少しでも力になってあげられて、支えてあげられるような父親でいたいと思います。

そのためにはまず体を治し精神的な問題も良い方向に向くように努力したいと思います。
具体的にどうすればいいのか、と言う事はまだわかりませんがとにかく希望だけは捨てずに頑張りたいです。

今回もいつも通り内容の薄い記事になってしまって申し訳ありません。皆さんのように中身の濃い記事が書けるようになりたいです…。

いつも少しでも読んで下さる方、スターを付けてくれる皆さんほんとうに心から感謝しています☆
ありがとうございます☆

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嬉しいはずなのに…

おはようございます☆

少し忙しくて記事が書けなくて申し訳ありません。

今週は娘の入園式があったのですが、普通の父親なら晴れ晴れと自分の娘の成長を喜んであげられるはずなのに、私は心から娘の入園を喜んであげられて無い気がして少し落ち込んでいます。

私の頭の中には、常に滞納している家賃や光熱費の支払いの心配が消える事は無く、これからは幼稚園の学費の事でも頭を悩ませ無ければいけません。
入園費や制服代、その他細かい出費だけで元々火の車だった家計がもはや炎上しかかっています。

入園式にも出席しましたが、他の親子さんたちはそんな事は心配してないんだろうなとか経済的に裕福なんだろうなとかそんな事ばかり頭をよぎってしまいました。

そればかりでは無く実は、私の娘も少し吃りが出て来ているので、まわりの子たちにその事でイジメられたりしないだろうか、変な目で見らたりしないだろうか、と思うと娘が心配でなりません。
私が小さい頃吃っていたせいでそれが娘に遺伝してしまったようで娘に申し訳無い気持ちでいっぱいです…。

最近特に思うのですが、こんな父親の元に生まれたばかりに娘が辛い思いをするのでは無いかと思うと娘が不憫でなりません。

いろいろと考えていると悪い事しか浮かばないのであまり頭では考えないようにしているのですが、正直今は少し生きるのが辛いです。

でも、前の記事に書いた通り、早くに亡くなった私の友人の為にも、そして何より妻と娘の為にもこんな私でも諦めないで1日1日をなんとか乗り越えてその先にある光を家族3人で掴みたいです。

今回はほんとうにただの悩み日記のようになってしまってほんとうに申し訳ありません。
もっと明るい記事が書けるようにならなければ…。

いつも少しでも読んで下さる方、たくさんのスターを付けてくれる皆さんに心から感謝しています。
ありがとうございます☆

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ギャンブルの先には

おはようございます☆

今回はギャンブル依存症の私なりになぜ人はギャンブル依存症になってしまうのか?と言う事を考えてみました。

私は記事に書いた通り最初は小遣いやバイト代の中から使える範囲でスロットを楽しんでいました。決して手持ちが全部無くなるまでスロットをやったりお金をATMでおろしてまでスロットをやると言う事はありませんでした。

「徐々に使う額が増えてそのうち自分でもコントロール出来なくなって行く」と言う考えがギャンブル依存症になるまでの経緯だと普通は説明されるかもしれませんが、今まで書いた記事と少し矛盾してしまうのかもしれませんが、私の場合はそれとは違いました。

私が、スロットにハマりギャンブル依存症になって行く過程で今でも忘れない事があるのですが、
ミリオンゴッド(初代)
と言う凄まじい台があって、プレミア厶ゴッドゲームと言う当たりを引けば最低でも5000枚(10万円相当)のメダルが必ず出る台でした。
私は、当時あまり好きな台ではなかったのですが手持ちの残りのメダルを使い、なんと座って最初の1ゲーム目にプレミアムゴッドゲームを引いたのでした。これは、お金に換算すれば60円(メダル1枚20円✕1ゲーム3枚必要なので)が一瞬で10万円(5000枚✕1枚20円)になったのと同じ事でした。

その経験が強烈過ぎて私は徐々にでは無く、一気にギャンブル依存症になってしまったのだと思います。
普通に生活していて60円が一瞬で10万円になる事なんてまず無いと思います。
それからは、10万円使っても10万円メダルを出せば取り返せると言う思考になってしまったのだと思います。
しかし、当然そんな甘い訳があるはずも無く、記事に書いて来たようにギャンブル依存症になり借金を抱え全てを失いました。

ギャンブルの先には結局何も無いです。

1日30万円以上スロットで勝った事もありましたが、スロットに消えて行くだけです。
それは100万買っても200万勝っても同じ事だと思います。
スロットで勝ったお金で買った高価なブランド財布や高価なゲーム機などは結局は軍資金が無くなり、質屋さんやブランド買い取りショップに持って行くだけなので手元には何も残りません。
ギャンブル依存症の人はギャンブル以外には極端にお金を使わなくなる気がするので、普段の生活は質素に過ごすのにスロットで1日10万円ぐらい使ってしまうのです。

そして、家族、親類には見放され友達にも迷惑をかけ、恋人とも別れる事になり、最後には多額の借金だけが残るのです。人によっては私のように仕事さえも失う人もいるかもしれません。

結局はギャンブルでいくら勝とうがギャンブルの先には何も残らず借金だけが降りかかるのです。

また今回も意味の薄い記事になってしまい申し訳ありません。伝えたい事を文章で伝えられるようになりたいです…。

いつも少しでも読んで下さる方、スターを付けてくれる皆さん、ほんとうに心から感謝しています。
ありがとうございます。

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