うつ病、パニック障害、ギャンブル依存症、吃音、それでも生きて行かななければ

うつ病、パニック障害、ギャンブル依存症、吃音などいろいろな病に侵されながらも家族の為、自分の為に諦めず毎日を生きていく日記と体験談です。

吃音(どもり)について

おはようございます☆

前回の記事にもたくさんのスターを付けて下さってほんとうにありがとうございます☆
心から感謝しています☆

今回は私の吃音(どもり)について書いて行きたいと思います。

私は物心ついた頃から吃りがありました。
それなので、いつから吃りになったのか全くわかりませんが、私の父親も吃りがあるのでおそらく遺伝したのかもしれません。しかし、姉は全く吃りでは無いので、実の所は私がなぜ吃るようになったのかはよくわかりません。

具体的に私の記憶にあるのが、幼稚園の頃から言葉が上手く話せ無いので、おかしいなぁと言う記憶があります。頭ではしっかりと話したい言葉が浮かんでいるのですが、それを言葉にして話そうとすると上手く話せず、例えば「おはよう」と話そうとすると
「お、お、お、お、お、はよぅ、、、」
と言うような感じで上手く話す事が出来ませんでした。

そんな話し方をしていたら、まわりの友達たちにからかわれて私の話し方の真似をされたり、わざと私に話しをせようとするなどの軽いイジメのような事をされたりしました。
小さいながらも、とても傷ついた記憶が残っています。
それなので、私はこんな話し方でからかわれるぐらいなら話さない方がマシだと思い、ほとんどまわりと会話をしなくなって行きました。

しかし、家の両親や姉は私が吃ってもしっかりと話を聞いてくれていたので実家ではたくさん話す機会があったのでそんなに辛かったり苦しかったりとは思いませんでした。

でも、小学校に上がってからは、国語の授業の音読や個人発表などの、どうしても人前で1人で話さなければならない機会があり、やはり私は吃ってしまって上手く話す事が出来ない事が多々あったので、かなり辛い小学校生活を送る事になってしまいました。
毎日の授業でも答えがわかっているのに手を上げる事が出来なかったり、休み時間などの楽しいはずの時間さえも上手く話す事の出来ない私にはとても苦痛でした。

なんで私だけこんな思いをしなきゃならないのか、と毎日悩んでとても苦しかったです。

それに、自分は一生吃り続けるのなら将来はどうなるんだろうか?とかこんなんで社会人になって働く事なんて出来るのだろうか?とか小学生ながらにとても不安で心配になった記憶があります。

吃音の悩みや辛さ苦しさは当事者で無ければわからないものでもあると思います。自分の伝えたい事が言葉で伝えられない、と言うのはたぶんみなさんが思っている以上に辛く苦しいものだと思います。

私もそんな辛さや苦しさに負けて正直生きるのも嫌になるような時さえありました。

少し長くなったので続きは次回の記事に書きたいと思います。

今回も少しでも読んでくれた方、いつもスターを付けてくれる皆さんほんとうにありがとうございます。

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ありがとうございます☆

おはようございます☆

今回は皆さんへのお礼を書かせてください。

私はブログはおろかSNSさえ全く使った事がなかったので正直最初はブログを書くことに凄く不安を感じていましたが、皆さんのたくさんのスターや温かいコメントでなんとかここまでブログを更新する事ができました。

改めていつも少しでも読んでくれる方、スターを付けて下さる皆さん本当に心からありがとうございます☆

そして、コメントへの返信の仕方やブックマークをしてくださった皆さんへの返信などが正直まだしっかりとわかっていないので、もしご無礼がありましたらほんとうにごめんなさい。
これから、もう少し勉強してしっかり感謝の気持ちを伝えられるように頑張りたいと思います。

そして読み返して見ても酷い文章で何を伝えたいのか要点が全くわからなく、とても読みにくい文章になってしまってほんとうにすいません。
文章についてももっとしっかり書けるように勉強したいと思います。

そして、今、何か辛い事や苦しい事で悩んでいる人がいたら、決してそんな思いをしているのは自分だけじゃ無いし決して自分は1人なんかじゃ無い、と言う事を忘れないで下さい。
力になってくれる人は必ずどこかにいるので、諦めないで1日を過ごしていれば必ず何か光が見える時が絶対来るので自分も含め今は辛くて苦しくてもみんなで手を取り合って頑張りましょう。 

ほんとうに皆さんこんなブログを読んでくださってありがとうございます。
改めてこれからもよろしくお願いします☆


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パニック障害について4

おはようございます☆

今日もパニック障害の記事の続きを書きたいと思います。

前回書いた通り、1度は完全に治ったかのように思えたパニック障害でしたが、私が勝手に薬をやめたり病院に行かなくなったせいで前にも酷いパニック障害になってしまいました。
その頃の私は、まさに寝たきりの生活送っていました。しかも寝ていても、いつまた酷いパニック発作に襲われるのではないかと言う不安で横になっていても落ち着かず心の拠り所が無いような状態でした。
前に飲んでいた精神安定剤も効かなくなってしまったので新たにSSRIと言う抗うつ薬を処方してもらいました。
この薬は効果が出るまでに2週間〜1ヶ月程かかり副作用も強いので少量から始め徐々に量を増やして行くとの事でした。
SSRIを飲み始めて、最初に起こったのは強烈な吐き気でした。ただでさえ精神的に限界に来ていたのに追い打ちをかけるように強烈な吐き気に襲われてしまったのでかなり辛かったです。でも1週間程我慢して飲んでいると徐々に吐き気が治まりました。しかし薬を増やすとまた強烈な吐き気に襲われると言う事の繰り返しでした。
そして1ヶ月程で規定量SSRIを飲めるようになったですがその時に感じたのは劇的に症状が改善してはいないものの不安感が少しずつ軽くなって行くのがわかりました。
そして飲み進めて行くうちに徐々に徐々に症状は改善していき、なんとか近所の散歩ぐらいは出来るようになりました。
その間は軽いパニック発作はあったものの酷い発作は起こらず少しずつ気持ちも前向きになっていました。
それからは出来なくなっていた事を少しずつやって見て、だめなら諦めると言うリハビリのような事を繰り返し行いました。
例えば、車に乗る事は完全に出来なくなっていたのですが近所のコンビニまで車で走り、大丈夫なら家に戻り、次の日はもう少し離れた書店まで車で走り、次の日はそこからまた少し離れたドラッグストアに行って家に戻る見たいな感じです。
途中で不安になったら路肩に止まり落ち着くまで休みをとりまた落ち着いたら走り始めると言う感じでした。
そのような感じで自分なりにリハビリを繰り返して行くうちに、だんだんともとのように車に乗る事が出来るようになり外に出掛ける事が出来るようになって行きました。
しかし今だに路肩が無い所(長い橋や長いトンネルなど)を走るのは苦手です。
外出しても体調が悪くなったらベンチに座って落ち着くまで休み、また動き始めてその距離を少しずつ伸ばして行くような事もしました。
そんな事を繰り返して行って行くうちに元の元気だった頃の生活をおくれるように回復して行きました。

最初のパニック発作からもう15年近く経ちますが今だにSSRIは服用していますし不安感が強い日は精神安定剤も飲んでいます。
しかしパニック障害は完治はしなくても、必ず良くなるので無理しないでゆっくり治して行く事が大切だと思います。

今はもうパニック発作に襲われる事はほとんど無くなり、不安感もほとんど無いので、自分なりにはパニック障害は克服したのかなと思っていますが、酷いパニック発作を起こした後の状態の時は、ほんとうに辛く苦しく、もうこのまま一生寝たきりになってしまうのでは無いかと思いました。

もしパニック障害になってしまった人がいたら物凄く辛く苦しいかもしれないけど、時間をかけてゆっくり治療して行けば自分のように必ず回復するので、必ず治療を受けて良くなるまで諦めない事が大切だと思います。

こんな事が私のパニック障害の経験でした。

とりあえず今回でパニック障害については終わりにしたいと思います。

またいつもながら文章や表現がめちゃくちゃで伝えたい事がなんなのかわからないような記事になってしまい本当に申し訳ありません。
今はとにかく文才が欲しいです……。

いつも少しでも読んでくれる方、スターを付けてくださる方に本当に感謝しています☆
心からありがとうございます☆

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パニック障害について3

こんにちは☆

今日はパニック障害の続きを書きたいと思います。

前回の記事に書いたように精神科に通院し精神安定剤を処方してもらってからは嘘のようにパニック発作も不安感も無くなり完全に普通の生活を送れるようになっていました。

私は、もうパニック障害は治ったのではないかと自己判断し勝手に病院に行くのもやめ、薬も飲まなくなりました。
それからしばらくは何の異常も無く普段通りの毎日を過ごしていましたが、ある日の夜、少しお酒を飲んで眠ろうと思った時に、それまで経験した事の無い強烈な動悸(動悸と言うよりは心臓が破裂してしまうのではないかと言う程の異常な心拍数の増加)に襲われ、1人ではどうする事も出来ず両親に救急車を読んでもらい家の近くの総合病院に搬送してもらいました。
病院に運ばれてからも動悸は治まらず、途中に何度かもどしてしまいました。
この時の事は鮮明に覚えていて、
「もう本当に死ぬんだなぁと思い、まだ死にたく無いとかまだまだやりたい事、経験したい事があったのにこんなに早く死ぬなんて嫌だとか…」
いろいろな事が頭に浮かび、最後には本当に走馬灯まで見えて来て死ぬ事への恐怖で頭がおかしくなりそうでした。

診察中の心拍数は250を超えていて、完全に不正脈のような症状でしたがいろいろと体中の検査が終わって、ほんの少し落ち着いた頃に医師に言われたのは、心臓には何の異常も無く血液検査なども特に異常が無いとの事でした。

結局のところ、この時の症状もパニック発作だったのです。
私は、自分の勝手な判断でもう治ったと思っていたパニック障害がまだ治ってなんかおらず、勝手に薬をやめた事による揺り戻しで以前より強烈なパニック発作に襲われてしまいました。

病室で両親に付き添ってもらいしばらく横になっていたらだんだんと心拍数も元に戻り、その日の朝には家に帰る事ができました。
しかし、あまりにも強烈なパニック発作だったので以前にもまして予期不安や心が不安定な状態になり横になっていても落ち着かないような状態になってしまいました。
早速、以前診てもらっていた精神科に行き精神安定剤を処方してもらいましたが以前のように安定剤を飲んでも全く症状は改善しませんでした。

その当時の私はあまりの不安感のせいで車の運転はおろか外に1人で出ることさえもままならなくなっていました。
近所のコンビニに歩いて行くだけでも酷い動悸に襲われ意識が薄れてしまうような状態でした。
こんな事になるなら、自分で勝手に判断して病院に行かなくなったり薬をやめたりしなければ良かったなと後悔しましたがまさしくあとの祭りでした。

また少し長くなってしまったので続きはまた次の記事に書きたいと思います。

いつも少しでも読んでくれる方、スターを付けてくれる皆さん、ほんとうにありがとうございます。
心から感謝しています。

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生きる気力とは

こんにちは☆

今日はまた少し趣向を変えて私の思いを書きたいと思います。

私には妻と娘がおりますが、私のような人間としての出来損ないがなぜ家族を持っているのか、と言う事について書きたいと思います。

私と妻は結婚して3年半ぐらいになりますが、付き合っていた期間を含めるともう10年以上の仲になります。
妻とは俗に言うできちゃった結婚と言うものになりますが子供が出来たと知った時、私は無職で借金も抱えていましたが素直に嬉しいと思いました。
先の事や生活の事は後からどうにかなる、としか考えていませんでした。
しかし、どうにもならない状況も当然多々あります。
今も家賃滞納や光熱費滞納、細かい支払いの滞納などあり毎日、胃に穴が空くような思いをしてますがなんとかやってこれてます。
私がこんな思いをしながらでも毎日諦めず頑張ろうと思える生きる力は

実は、私には幼稚園から高校までずっと同じだった親友の存在があります。
しかし、彼は28歳の時にクモ膜下出血で亡くなりました。
彼の奥さんのお腹には8ヶ月になる子供がいました。
彼は昔からの一本気質の男らしい性格で、子供も凄く好きだったと思うので、自分の子供の顔を見られずこの世を去ったのはとても悔いが残ったのではないかと思います。
自分に子供が出来たと思った時に、彼の分まで自分が自分の子供をしっかり育てる事で彼に対してほんの少しでも報いになると思い毎日頑張っています。
彼は子供の顔を見たくても見れなかったのに
「毎日子供と過ごす事が出来る私が頑張らないでどうするんだ」
と言う気持ちが、私の生きる力の大きな原動力になっています。

ただ今の私は、仕事にも行けず体調は悪いままなので彼に対して、なんの弔いも出来ませんが、いつか必ず何かをしっかり成し遂げて彼に報告出来るように頑張ろうと言う気持ちになれるのです。

もちろん妻と娘も私の生きる気力になってくれているのは当然なのですが、天国にいる親友の為にも早くしっかりとした生活を構築して私が、死んだ時に彼と笑って顔を合わせるようになりたいと思っています。

みなさんも辛い思い、苦しい思い、どうにもならない状況などあると思いますが決して、自分だけがそんな思いをしているのでは無いので孤独なんて思わないで1日1日を乗り越えて行きましょう。
生きてさえいれば必ず何か光が見えると思います。

またまた何を伝えたいのかわからない駄文になってしまい申し訳ありません…。

いつも少しでも読んでくれる方、スターを付けてくれる皆さんほんとうにありがとうございます。

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パニック障害について2

こんにちは☆

少し間が空いてしまいましたがパニック障害について続きを書いて見たいと思います。

私は前回からのパニック発作とそれによる体調不良の為に始めて精神科と言うものに通って見る事にしました。

まず、先生に今までのパニック発作の経緯と、それによる不安感などを伝え診察が終わり、その後に心理テストのような物や簡単なカウンセリングのような物があり、再び診察室に向かうとやはり私は、パニック障害の可能性が強いとの事でした。

その時は、自分なりにネットや書籍で自分の症状についてかなり調べていて、まず間違いなくパニック障害で間違いないと思っていたので、特にショックを受ける事も驚く事もありませんでした。

それよりも私が驚いたのは、その診察時に抗不安薬を処方して頂いたのですが家に帰って1錠飲むなり、今までの不安感やパニック発作にまた襲われるのではないかと言う恐怖が嘘のように全く無くなり、まるで完全にパニック障害が治ってしまったかのように感じた事でした。
抗不安薬を飲むだけでここまで良くなるのなら、すぐにでも精神科にかかれば良かったと思う程、私には抗不安薬が良く効いてくれました。

それからしばらくは薬を服用しながらですが、1度もパニック発作に襲われる事も無く以前の生活が送れるようになりました。

2週間に1度の通院間隔でしたが薬さえ飲んでいれば大丈夫と言う気持ちと、もう自分は完全にパニック障害から回復したのはでは?、と思う気持ちで毎日を過ごしていたのを覚えています。

しかし、ほんとうのパニック障害の怖さに私はまだ気づいていなかったのです…。

また少し長くなったので続きはは次の記事に書きたいと思います。

いつも少しでも目を通してくれるみなさん、スターを付けてくださるみなさんに本当に感謝しています。
いつもありがとうございます。

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パニック障害について

こんにちは☆

今回はパニック障害について書いて行こうと思います。

最近、芸能人の方などが公表する事で少しずつ知名度が上がって来た病気でもあると思いますが、私が患った当時は「パニック障害なんて病気があるの??」って感じで自分も知らなかったし、まわりも知らなかった病気でもありました。
なので最近少しずつでもみなさんにこの病気の事を知ってもらって、もっともっと理解して頂けたら幸いだと思います。

まず私がパニック発作を始めて起こしたのは21歳の時でした。
いつも通り、なんの気なしに車を運転していたら、突然両手両足が痺れ出し、それと同時に酷い動悸に襲われ、真冬なのに体中にあぶら汗をかき、これは普通では無いと思いなんとか路肩に車を駐めて、しばらく体が落ち着くのを待ちました。
その時は、5分程休んでいると症状が落ち着き、そのまま車を運転して帰る事が出来たので、おかしいとは思いましたが特に病院に行ったり、誰かに相談する事も無く過ごしました。
しかし、次の日に同じように車を運転していたら、前回の症状に加え意識が遠のくような感じにまで襲われ、これは普通では無いと思い近所の内科に行きました。
診察を終えて帰って来た言葉は、特にどこも以上は無いとの事でした。
その時はおかしいな、とは思ったものの体に悪い所が無いなら大丈夫だろう、としか考えていなかったのですが、その日の夜、いつも通り寝ようと布団に入った時になんと、車を運転していた時の症状に襲われさらにどうしようも無い程の不安感に襲われました。
しかし医者では体に悪い所は無いと言われたし、いったい私はどうしてしまったのかと思い不安感で眠れない夜を過ごしました。

この当時の私の主な症状は

両手足のしびれ
酷い動悸
体中にあぶら汗をかく
意識が遠のくような感覚
体がふわふわして自分が自分では無くなるような感覚

こんな感じの症状がその後は、車を運転していたり、夜寝ようとしたりすると毎回のように襲って来て、そのうちまたいつもの症状が現れるんじゃないかと言う物凄い不安感が24時間頭から離れなくなり、普通に日常を送る事も辛くなっていました。
そこで私はネットで自分の症状について調べ周りその中で当てはまりそうな病名の本を書店で調べてみた所、まさにパニック障害の症状にぴったり当てはまったので、正直自分には無縁だと思っていた精神科というものに行って見る事にしました。

少し長くなったので続きは次の記事に書きます。

いつも読んでくれる方スターをつけてくれる皆さんほんとうにありがとうございます☆☆

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